韓国の文化遺産

皆さんは韓流スターと言えば誰が思い浮かびますか?
防弾少年団(BTS)? ブラックピンク?
 

韓国の歌手、ドラマ、映画などの大衆文化を通じて日本で韓国について関心が高まっています。 しかし、韓国について日本人たちの関心は韓国の大衆文化に集中されています。

これに対し、サイバー外交使節団バンク(VANK)は韓流で高まった韓国についての日本人たちの関心を梃子にし、韓国の歴史と文化を紹介しようとします。

韓流は最近にいきなり発生した一時的な現象や偶然ではありません。韓国の五千年の歴史と文化の中に韓流はもうありました。皆さんに韓国の歴史の中隠された韓流スターを紹介します。

[ 先史時代 ]

握斧、世界の旧石器時代の歴史を新しく書いた遺物

韓国で世界の旧石器時代の歴史を新しく書いた驚くべき発見があったこと、ご存知でしょうか。

 

1978年4月のある日、駐韓米軍であったグレッグ・ボウェン(Greg L. Bowen)は彼女と一緒に京畿道全谷里漢嘆江の周辺で散歩を楽しんでいました。ところで彼の目に変な石一つが見えました。彼は周辺で怪しい石三四個をもっと発見し、この事実を世界的な考古学者に伝達しました。グレッグ・ボウェンが発見した石は驚くべし旧石器前期文化を代表する「アシュール握斧」であることが明らかになりました。世界の旧石器時代の歴史を新しく書いた驚くべき発見が起きたのです。

 

アシュール握斧はフランスのサン・タシュール地域から由来した名前で、この地域では旧石器前期文化を代表する握斧が大量で発見されました。アシュール握斧は全体的な形態が左右対称をなし、端は凄く鋭く、狩り、採集、飲食の手入れなど多様な用途で使われたと推定されています。当時世界の学者たちは米国の著名な考古学者であるムビアスの学説によって東アジア地域では旧石器前期の遺物であるアシュール握斧が発見されなかったので、この地域では旧石器前期文化がなかったと思われました。これは東アジア地域が旧石器時代の握斧が多く発見される欧州とアフリカ地域と比べて文化的に、人種的に劣等だという意味を内包しているのでした。しかし、1978年韓国でアシュール握斧が発見され、ムビアスの既存の学説が間違っていることが証明されました。以降握斧は全谷里地域を中心に韓半島の全域で大量に発見され、中国でも大量の握斧が出土して、世界の旧石器時代の歴史を新しく書かれたのです。

ドルメンの国!星座を描いた人たち

皆さん、もしかしてご存知でしょうか。韓国の歴史の中にはドルメンの国があった事実。

 

ユネスコは2000年12月に韓国の和順(ファスン)、高敞(ゴチャン)、江華島(カンファド)のドルメン遺跡を世界遺産で指定しました。韓国は全世界のドルメンの40パーセント以上があり、ドルメンの国で呼ばれることもあります。ところが、まだ世界人が知らない事実があります。それは韓国のドルメンには現代の科学者も驚くほど星座が正確に刻められていることです。

 

天文図が刻められたドルメンは韓国の古代の歴史である古朝鮮の代表的な遺物で、北朝鮮の平壌、韓国の忠清北道など所々で発見されました。特に1978年に韓国の忠清北道清原郡ドルメンの遺跡で小さな石版が発見されましたが、この石版には65個の小さい溝ができました。学者たちが調査した結果、これは紀元前500年頃の天文図で北斗七星、小熊座、龍座、カシオペヤ座などで確認されました。

 

古代社会で天文図が重要な理由は天文図が当時の最先端の科学技術を象徴的に見せているからです。エジプトやメソポタミア文明が世界的な文明で認定される理由は天文図がこの地域で発見されたからです。ドルメンに刻められた天文図は紀元前1200年頃空を観察したことを見せるバビロニア土地境界碑より1800年も前の紀元前3000年頃の遺物です。

古朝鮮

世界最高の水準の青銅鏡を作った人たち

皆さん、もしかしてご存知でしょうか。 韓国の歴史の中には世界最高水準の古代青銅鏡がある事実。

 

21世紀韓国は世界最高の水準の半導体製造国です。韓国が世界一位の半導体技術を保有することになったのは偶然ではありません。今日の世界的な半導体会社であるサムスン電子が韓国の京畿道器興に半導体工場を建てるため土を掘っている間に古代の青銅鏡を製造する型枠工場が発見されました。ここで発見された型枠工場で作られたものが大韓民国国宝第141号である古代の青銅鏡「多鈕細紋鏡」です。「小柄な模様の鏡」ともいうこの青銅鏡は紀元前4世紀頃製作されたもので、直径21.2センチの後面に0.03ミリの同心円が1万3300個描かれています。線の太さと間隔全てマイクロン単位で今日の先端科学技術でも作られないほど超精密の技術が反映されています。

 

拡大鏡は16世紀に欧州で初めて発明されました。それでは紀元前4世紀頃に韓国の歴史の中の古朝鮮時代の人たちは一体どのような技術で超精密な青銅鏡を作りましたか。この古代の青銅鏡「多鈕細紋鏡」を通じて韓国の歴史の中の古朝鮮時代に21世紀の韓国の半導体ぐらいの世界最高の水準の技術があったことが現れました。

三国時代(高句麗、百済、新羅)

平昌冬季五輪に登場した韓国の文化遺産

皆さんはご存知でしょうか。約1600年前、韓国の古代歴史の中で高句麗の古墳壁画に描かれていた文化遺産が視空間を越えて21世紀オリンピックに登場し、世界人に大きな関心を呼び起こしました。

 

話題の主人公は2018年春、平昌冬季五輪の開幕式と閉幕式で登場した人面鳥です。人面鳥は「人の顔を持つ鳥」で、韓国の古代の歴史である高句麗德興里古墳壁画に登場します。1600年間眠っていた人面鳥は高句麗の舞踊塚の壁画に登場する踊り手たちと一緒に2018年冬季オリンピックの開幕式と閉幕式で派手に生まれ変わりました。人面鳥はまるでオリンピックの開幕式公演の主演俳優で招待された韓国の最高のスターのように舞台をかきまわしており、世界人たちから注目されました。オリンピックの中継放送を通じて人面鳥を見た世界人たちは人の顔を持つ巨大な鳥がキリンのように長い首を持って翼をはためかせながら登場すると、今まで世界によく知られていなかった韓国の古代の伝統文化について新しい視角を持つようになったと評価しました。

 

実は平昌冬季五輪で登場した人面鳥は高句麗の古墳壁画だけでなく、韓国の歴史の中で百済、新羅、朝鮮の文化財のあちこちで登場します。それでは、人面鳥を壁画に残した高句麗はどのような国だったのでしょうか。

 

韓国の5000年の歴史で満洲と韓半島の北部を基に強力な力と巨大な領土、高い水準の文化を持っていた高句麗は紀元前37年から紀元後668年まで約700年間存在していた韓国の古代の国家です。何より韓国の歴史の中で高句麗は1988年のソウル夏季五輪、2018年の平昌冬季五輪を開催した国際化された韓国には一層特別な意味があります。韓国の英文名称であるKOREA(コリア)は韓国の歴史の中で国際的な交流が活発であった高麗の国号で始めており、高麗の国名は高句麗で取ってきたものです。高句麗は高麗でも呼ばれましたが、高麗を建国した王建が高麗は高句麗を継承する国という意味で国号を高麗にしました。

 

国際社会に韓国の英文名称を代表するKOREAの初めになった高句麗、そして高句麗の人が21世紀韓国に持って来てくれた驚くべき贈り物である人面鳥。人面鳥が全世界の人々の耳目が集まった韓国の平昌冬季五輪に登場したことが果たして偶然でしょうか。

鎧馬武士、高句麗の鉄甲騎兵

高句麗の鎧馬武士について聞いたことがあるでしょうか。

 

高句麗は韓国の古代の国家の一つであり、中国との戦争で何回も勝利し、韓半島の北部と満洲に至る広い領土を取った強大国でした。東北アジアの強者高句麗が数多くの戦争で勝利した要因は何だったでしょうか。色々な要因がありますが、一番重要なもので当時に最先端の武器と言える鋼鉄の武器で武装した高句麗の鎧馬武士を挙げることができます。鎧馬は鎧を着た馬を意味し、鎧馬武士はこのように鎧を着せた馬に乗った良く訓練した兵士と指します。

 

当時にはこのように馬と人を鉄製鎧で武装することが簡単ではありませんでした。このためにはまず発展した鉄器文化がなければならず、これを制作する経済力が後押しされなければならなかったからです。高句麗がこのような鋼鉄武器を持つことができたものは高句麗で良質の鉄鉱石が多く生産され、韓国の最初の国家である古朝鮮から続いてきた優秀な製鉄技術があるからでした。

 

高句麗は古朝鮮の優秀な鉄器文化を更に発展し、自国の軍人を強力な鋼鉄の武器で武装させ、軍事強国になることができました。西洋の場合には高句麗の鎧馬武士のような重武装した騎兵はほぼ1000年後になって登場しました。鉄の鎧を着せた馬に乗って、鉄兜と鉄鎧で武装した高句麗の鎧馬武士は戦争で強力な戦闘力を発揮しました。鎧馬武士は弓と槍で攻撃する敵を効果的に防御しながら戦闘の最前線で敵陣を突破し、敵の隊形を破壊しながら数多くの戦争を勝利に導きました。我々は韓国と中国の様々な記録、そして高句麗の墓の壁画で高句麗の鎧馬武士の強い姿を窺うことができます。

西洋より千年も前に立った技術で製作された香炉

皆さん、もしかしてご存知でしょうか。 韓国の歴史の中に宝物の中で西洋より千年も前に立った技術で製作された神秘的な香炉があります。

 

新約聖書にイエスが誕生した時に東方から訪れた三人の博士が香炉を贈り物した話が伝えられているように、古代の韓国の歴史の中でも神秘的な香炉が登場します。1993年12月、韓国の忠清南道扶余地域でなんと1400余年の間泥にあった香炉が寝覚めました。この香炉を通じて韓国の古代の歴史の中に700年の間持続した王朝である百済の燦爛さが世の中に現れました。この香炉は東アジアで一番大きい香炉で知られています。普通の香炉は高さが20センチ以内なんですが、この香炉は高さが普通の香炉の二倍以上である61.8センチであり、重さが11.8キログラムに至るからです。

 

何よりもこの香炉は百済の文化と科学技術の水準が同時代に世界最高の水準であったことを見せています。この香炉は一匹の竜が蓮華の蕾をくわえているような姿に山の峰、動植物、人などなんと160個の形象が香炉に隙間なく飾られています。香炉に見える160個の形象が潰されたり、割れたりせず精細な模様で鋳造されたのは百済が当代最高の先端技術を持っていたことを表します。この高度の技術は西洋より千年も前に立った技術である水銀アマルガム法で水銀と金を混ぜて模様を作り、加熱した後に水銀を蒸発させて金だけ残る技術で、今日の科学技術で再現し難いほどです。それでは、当代最高の傑作であるこの偉大な金銅大香炉を作った百済は果たしてどのような国だったんでしょうか。韓国の歴史を紹介する長の歴史書「三国史記」には百済についてこのような句があります。’儉而不陋 華而不侈’ 「倹しいがむさくるしくなく、派手だが贅沢ではありません」という意味です。

武寧王陵、古代文化の先駆者百済の宝庫

1971年7月、忠清南道公州市松山里で驚くべき発見がありました。百済時代古墳の排水路を整備する作業が行われている間偶然に百済の武寧王(在位501-523年)の墓が発見されました。墓の主人が死亡した時期と安置の年代が分かる墓石を通じて、その墓の主人が武寧王である事実が分かりました。古代の墓の中でこのように墓の主人が誰か明らかになったことはすごく珍しいことです。更に武寧王陵は盗掘されていない状態で大量の遺物が発見されました。金で作った棺の装飾、竜と鳳凰で飾られた大きな刀、文字が刻まれた腕輪など100余種2900余点の遺物が出土され、この中で17点が国宝で指定されました。

 

武寧王は百済が高句麗に首都を奪われて現在の公州である熊津に移した厳しい時期に王位に即きましたが、百済が安定を探して振興することができるように色々な改革の政策を推進し、対外的に中国、日本などと活発に交流するなど努力を尽くしました。武寧王陵を通じて我々は活発な国際交流活動を展開していた百済の姿を窺うことができます。

 

武寧王陵は煉瓦を積み上げて造った煉瓦の墓で、当時中国との活発な交流を通じて中国南朝の墓の様式を受け入れて造ったものです。墓は長方形の煉瓦を横に4段、縦に1段を積んで造りました。煉瓦造りの壁面には蓮花の模様が派手に飾られており、丸いアーチ型の天井は片側を狭く製作した台形の模様の煉瓦を使って精巧に築造しました。百済の職人たちは正確な位置に煉瓦を積むため煉瓦に文字を刻んだりしました。武寧王陵ではこれ以外にも中国の陶磁器、日本産金松を使った棺などの遺物が出土されましたが、これを通じて国際社会と活発に交流しながら多様な文化を受容して発展していた百済の国際性を窺うことができます。

千年王国、金冠の国

皆さん、もしかしてご存知でしょうか。世界で一番多い古代の金冠を保有する国が韓国の歴史の中にある事実。

 

現在まで全世界で発見された13点の古代の金冠の中で7点が韓国の歴史の中の王国である新羅で作られました。この理由で新羅は世界的な古代の金冠の宗主国で金冠王国で呼ばれることもあります。それでは新羅の金冠にはどのような意味があり、新羅にはなぜこのように多い金冠があるのでしょうか。

 

新羅の金冠の飾り付けは鹿の角、木の枝の模様を似ています。古代人たちは木が空を向く道、鹿は空を導く伝令使だと思いました。また、新羅の金冠の材料である金は永遠に変わらないという意味を含めています。それでは、新羅の金冠が新羅の王の墓で発見されたことを推測してみると、もしかして金冠の主人である新羅の王は亡くなっても永遠に新羅の民を守るという思いを持ったのではないでしょうか。

 

中国の王朝の平均が150年であるように、世界の歴史で千年も持続した王朝を探すことは大変です。もしかすると、世界の王朝の歴史では珍しく千年の間持続され、新羅が千年王国と呼ばれる理由は亡くなっても民を守り、愛しようとした新羅の王の心があったからではないでしょうか。千年王国の新羅の夢が新羅の金冠に隠られています。

世界を魅惑した黄金の国

皆さん、もしかしてご存知でしょうか。韓国の慶州地域の小さな墓で紀元後6世紀にローマの最高の職人が作ったもので推定される黄金の宝剣が発見されました。

 

韓国の宝物第635号で指定されたこの宝剣は慶州宝剣で全世界で発見された古代の宝剣の中で一番完全で美しく残っており、世界で最も珍しい黄金の宝剣で呼ばれることもあります。この黄金の宝剣は全体の長さ36センチ、最大幅9.3センチで、黄金と宝石で宝剣が飾られています。しかし、この黄金の宝剣がローマの最高の職人が作ったものだと推定する理由は何でしょうか。この宝剣にはギリシャ・ローマ時代に流行した所謂ギリシャの渦巻き柄が刻められており、地中海地方で見られる月桂樹の葉が刻められているからです。

 

それでは、東欧州で製作されたように見えるこの黄金の宝剣がなぜ東アジアで、そして唯一に韓国の慶州のある小さな墓で発見されましたか。東欧州と新羅は果たしてどのような関係だったのでしょうか。新羅は古代のアラブの国家の間で黄金の国と呼ばれました。アラブ地域の本の中で新羅が天国のように描かれ、古代の王国新羅の首都である韓国の慶州にはアラブ人の顔型をしている人が登場する遺物が多く発見されます。もしかしたら韓国の古代の王国である新羅の小さな墓でローマ最高の珍奇な宝物である黄金の宝剣が発見されたことは当時新羅が世界人が憧れた国際化され、開いていた王国だったことを見せる証拠ではにいでしょうか。

無垢淨光大陀羅尼經、世界で一番古い印刷物

人類の歴史上に最も古い刷り物は何でしょうか。

 

1966年10月、大韓民国の慶州にある仏国寺の釈迦塔で人類の歴史上一番古い印刷物が発見されました。8世紀初韓国の古代国家の一つである新羅(紀元前57年 ― 紀元後935年)で印刷された「無垢淨光大陀羅尼經」です。この仏教は釈迦塔の補修工事が行われている間に塔の内部で劇的に発見されました。「無垢淨光大陀羅尼經」は横52センチ、縦6.7センチぐらいで、楮で作った紙12枚を続いて刷る巻物形の印刷物です。各行ごとに文字7ー9字ずつ木版で印刷されました。印刷の時期は少なくとも印刷物が安置された釈迦塔の建立年度である751年以前に推定されています。これは868年に刊行された中国の『金剛般若波羅蜜經』、776年に印刷された日本の『百萬塔陀羅尼經』より時期が前に立っています。新羅は如何に世界で一番古い印刷物を残ることができたでしょうか。

 

韓半島には早くから紙を製造する技術がありました。もう6世紀の以前に楮で紙を作り、高句麗 (紀元前37年 ― 紀元後668年)の僧である曇徴は7世紀初に日し、本に紙を渡しました。新羅の楮の紙は品質が非常に優れており、その名声が中国でも広く知らせました。「無垢淨光大陀羅尼經」もこの新羅の楮の紙に印刷されました。新羅の製紙技術は高麗に続き、更に発展しました。高麗文宗34年(1080年)には公貿易で紙2000尺と墨400点を中国の松に輸出し、松の商人たちは高麗の良質な紙と墨を大量で購入して行きました。1377年には清州の興徳寺で金属活字で「直指心體要節」が印刷されました。この本は世界で一番古い金属活字の印刷物です。これ以外にも韓国には「高麗大藏經」、「朝鮮王朝實錄」など世界的な記録遺産がたくさんあります。

聖德大王神鐘、世界で一番きれいな鐘の音を持つ鐘

「この鐘は世界で第一だ。ドイツにこのような鐘があればこれ一つだけでも充分に博物館になることができる。」
– オート·クメル博士、ドイツの考古学者 –

聖德大王神鐘は新羅の聖德王(在位702ー737年)の冥福を祈るように製作された銅鐘です。

韓国の鐘の中で韓国人たちに一番愛されており、鐘の音がきれいなことで有名です。鐘の重さは18.9トン、高さは3.66メートルで巨大であり、34年の長い製作期間を経て771年に完成されました。聖德大王神鐘は鐘を掛ける輪である「竜頭」、音の筒の役割を果たす「音管」、そして鐘の本体で構成されています。特に「音管」は韓国の銅鐘だけで探すことができる独特な構造で、これは音の雑音を減らして深くて微かな音になるようにします。聖德大王神鐘の鐘の音は音が一定に大きくなって小さくなることを繰り返す唸り現象が起こり、これによって鐘の音が深くなり、遠くまで響きます。鐘の本体には天の仙女の模様の素晴らしい彫り物があり、鐘を撞く地点である「撞座」があります。韓国の鐘は鐘自体を振って鳴く西洋の鐘と違い、鐘の外で木の棒で打って鳴きます。聖德大王神鐘の撞座の位置は現代の物理学者たちが見付けた一番理想的な地点です。鐘が衝撃を最も少なく受けて、一番軽快な音が鳴る位置に撞座があります。これ以外にも聖德大王神鐘には最上の音を出すために色々な要素があり、これらが総合的に作用して現代の技術でも作られない、人の胸に響くきれいな鐘の音を出します。聖德大王神鐘は新羅の技術と芸術、科学が作られた最高の傑作です。

石窟庵、新羅の宗教・芸術・科学・技術が集約された世界唯一の人工石窟寺院

石窟庵は新羅時代慶州の吐含山に建てられた人工の石窟寺院です。751年に当時宰相であった金大城が建て始めて774年に完工され、石窟庵の元の名前は「石佛寺」です。石窟庵はインドや中国の自然の石窟寺院とは違い、高度の築造の技術を使って造られた人工の石窟寺院です。

 

石窟庵の内部の本尊様を含め全ての仏像は花崗岩で彫刻されており、花崗岩は色彩がきれいで、硬いですが、それほど扱いにくいので高度の彫刻の技術が必要です。石窟庵の仏像は一様にその表現が几帳面で細密で、まるで生きているかのようにその姿が生々しいです。堂々たる体躯に謹厳な表情の本尊様、美しい姿態の11面観音像、苦しい顔の羅漢たちと筋肉質の金剛歴史など、38余個の仏像が原形の形態の主な室を中心に配置されております。

 

石窟庵の本尊様がある主な室の天井はどっしりした重さの石を高度の築造技術で積み、丸い形態で完成しました。このような形態の天井は世界的に前例を見ないものです。どっしりした重さの石で丸い天井を作るためには緻密な設計とこれを後押しする基礎科学がいなければなりません。新羅の建築家たちは石を積み上げながら一定した間隔で間にくさび石を差し挟み、重さを適切に按配し、天井を硬く完成しました。また、創建の当時石窟庵の下には冷たい泉水が流れていましたが、これによって室内の湿気が温度が低い床に自然に集まれ、除去することができました。石窟庵が千年以上毀損されずに完全に保存された理由はこのように科学的に設計されたからです。

石窟庵は新羅人の信仰と念願、優れた建築の技術と芸術美が凝縮した宝物です。

高麗

八万大蔵経!東アジア最高の文化遺産

韓国の歴史の中で東アジア最高の水準の文明を作り上げた国があったこと、皆さんはご存知でしょうか。

一国の文化的な力量と水準が分かる基準は時代の知識を盛る器である本と印刷技術を見ると分かります。

 

古代韓国の千年王国である新羅で世界で一番古い木版の印刷本「無垢淨光大陀羅尼經」が印刷されたことから300年が過ぎた高麗は卓越している印刷技術を通じて中国に膨大な量の本を輸出する程度にアジアで最高の水準の文化先進国でした。高麗時代の歴史を込める「高麗史節要」の記録によると、中国の宋の皇帝は1091年に一年間高麗へ125種5200余冊に至る膨大な量の書籍を注文します。特に中国の皇帝は高麗に貴重な本が多い事実を知り、高麗で出版する書籍の目録を書きながら本が足りないものがあれば書き写しても持って来いと言いました。

 

高麗の輝かしい文化遺産の中では今日人類文明の宝庫で評価されている世界的な宝物があります。国宝第32号であり、2007年にユネスコ世界記録遺産で指定された八万大蔵経です。八万大蔵経は高麗時代に仏教経典を印刷するために文字を彫り付けた木版で、その数が約8万余個に至って「八万大蔵経」で呼ばれます。大蔵経の一枚の厚さが4センチメートルであることを勘案すると、8万1352枚の木版をきちんと積み上げた時に韓半島で一番高い山である2,744メートルの白頭山より高く、総重さは280トンに至るほど分量が凄いです。

 

大蔵経が偉大なことは単に凄い分量だけではありません。当時に八万大蔵経を作る作業の過程の一つ一つが今日半導体チップを作る作業の工程と同じぐらい高い水準の技術が要りました。ここで驚くべき事実は8万個に至る凄い量の木版一枚ごとに世界最高水準の専門家が同一な能力で経書の版木に文字を刻んだように高い完成度を見せているものです。八万大蔵経は総制作の期間が16年、参与した高麗人の数は約50万名であった国家的な事業でした。当時に国家の主導でこのような水準の大蔵経が作られる国は高麗と中国しかありませんでした。特に仏教が普遍的な文化であった中世時代、東アジアの中の高麗で大蔵経が作られたことは高麗が当時に東アジア最高の水準の文明に至ったことを意味します。

天の下最高の名品!高麗の青磁

韓国の歴史の中で高麗時代に世界最高水準の名品である「青磁」が生産された事実、皆さんはご存知でしょうか。

 

青い光が出る磁器である青磁を世界で最初に作った国は中国です。しかし、青磁を発明した中国人たちも高麗で作られた青磁を世界最高水準の名品であると認め、高麗青磁をお互いに欲しがっていました。中国の宋の時代にある学者が著述した本「袖中錦」には、高麗の青磁は世の中の人々が一番欲しがっている世界第一の名品で評価さてれおり、中国の北宋の皇帝のある使臣は「高麗圖經」という本に高麗の青磁は中国で生産された陶磁器と比べても遜色がない名品で挙げられました。特に中国の有名な使臣である蘇東坡は天下名品で10個を紹介しましたが、その中で2個が高麗で作られた青磁と紙でした。それでは、高麗の青磁にはどのような神秘な魅力があって当時に世界最高の水準の陶磁器を作って全世界に輸出した中国でさえ高麗の青磁を世界最高の名品で認めたのでしょうか。

 

青磁は今日の半導体のように最先端の技術が必要だったから10世紀頃に全世界で青磁を作ることができた国は中国の宋と韓国の高麗、その二国が雄一であったと伝えられています。高麗は中国から陶磁器と青磁を作る技術を学び、10世紀と11世紀に韓半島の所々で青磁を生産し、12世紀頃には中国の青磁を超える独創的な技術を創造し、世界最たちが高の水準の名品磁器である「象眼青磁」を作り出しました。象眼青磁は陶磁器の表面に多様な形態の柄を刻んだ後にその部分に土を入れて文様が現れるようにする技法で、高麗人たちが世界の最初で考案した陶磁器の制作技法です。象眼青磁の制作技法を通じて高麗は全世界のどの青磁とも比べられない独特で雄一の青い光を発散する高麗の磁器を作ることができましです。代表的な高麗の磁器は大韓民国の国宝第68号で指定された「靑磁象嵌雲鶴文梅甁」です。本体が大きく、口が小さい器に雲と鶴の柄が刻められたこの青磁を通じて世界最高の水準の名品を生産した高麗の輝かしい文化の水準を窺うことができます。

 

人類の歴史を変えた発明!金属活字技術

西洋の観点で人類の歴史を変えた偉大な発明で評価されている金属活字技術を最初に作った国が韓国の歴史の中にある事実、皆さんはご存知でしょうか。

 

米国の有名な雑誌社であるタイム(TIME)で発行する「ザ・ライフ・ミレニアム」という本でこの千年の間に世界を変化した100件の事件の中で金属活字印刷術の発明を一番偉大な発明で挙げらされたれました。また、米州と欧州で発行される数多くの世界史の教科書には1455しています。年度に発行されたグーテンベルク聖書を人類の歴史の重要な事件として照明し、比重のあるよう紹介しています。

 

金属活字の印刷術を通じて情報の大量の印刷と普及が可能になり、これを通じて西洋の歴史の流れを変えたルネサンス、宗教改革、産業革命、市民革命などが起こったからです。ところが、西洋の人々が知っていないものがあります。西洋の歴史で偉大な発明で挙げられる金属活字の技術を人類の歴史上で最初に発明した国が韓国の歴史の中の高麗という事実です。韓国の古い歴史書である「東國李相國集」には高麗時代である1234年度に「詳定古今禮文」という本を金属活字の技術で発行した内容が出ます。これは1455年に金属活字の技術で印刷された欧州のグーテンベルク聖書より約200年以上進んでいます。しかし、悲しい哉、「詳定古今禮文」は記録上で存在し、実物で伝われていません。

 

ところが、1972年にフランスのパリ国立図書館で高麗時代の金属活字の技術で印刷された「直指(直指心體要節)」が世の中に現れました。当時にパリ国立図書館の特別研究員として働いていた朴炳善(パク・ビョンソン)氏が図書館で韓国と関連する資料を分類する作業をしている間に「直指」を発見したものです。「直指」にはこの本が高麗時代である1377年に金属活字で発行された内容が含まれ、これを通じて韓国が世界の最初で金属活字の技術で本を印刷した国という事実が証明されました。2001年9月、ユネスコは現存する世界の最高の金属活字本である「直指」をユネスコ世界記録遺産で搭載しました。ユネスコが指定した歴代の世界記録遺産の中で元の国が所有していないにも関わらず選定された遺産は「直指」が雄一です。

 

1455年に印刷されたドイツのグーテンベルク聖書より78年も前に立ち、1377年に印刷された高麗の「直指」を通じて、学者たちは当時の金属活字の技術が中国を経て欧州に伝わったのでというはないかと推測しています。また、韓国の歴史の中で活字の印刷術は中国と日本に伝えれ、特に日本の歴史書には韓国で持っていた活字を当時の日王に捧げ、該当の技術を使って本を発行したという記録があります。人類の歴史を変えた偉大な発明、金属活字の技術!世界人たちはグーテンベルクの存在を知っているだけで、高麗の「直指」に対してはまだよく知っていません。

「直指」、世界で一番古い金属活字の印刷物

 

韓国の歴史の中で高麗はどのように世界で一番古い金属活字の印刷物を残すことができたでしょうか。

 

「直指」は高麗の僧侶である景閑が善の要諦を悟ることに必要な内容を挙げて編んだ本で上下2巻で仕組められ、1377年に清州の興德寺で金属活字で印刷されました。1967年、フランスのパリ国立図書館へ勤務していた朴炳善(パク・ビョンソン)博士は図書館の所蔵品の中で「直指」下巻を発見しました。この以降、朴炳善博士は多くの考証を経て「直指」が金属活字で印刷されたことを確認し、1972年にフランスのパリで開かれた図書展示会で「直指」を出品し、その存在をまで世界に知らせました。「直指」の発見で世界の印刷の歴史は再び書かれました。その以前まで世界で一番古い金属活字の印刷物は1455年に印刷されたドイツのグーテンベルク42行聖書で知られていたからです。高麗はいかに世界で一番古い金属活字の印刷物を残すことができたでしょうか。

 

金属活字を発明するには金属鋳造技術、紙の生産、印刷用インク(墨)開発など関連した技術があまねく発達いけないんですが、高麗にはこのような環境が備われました。長い間続いてきた発達した金属鋳造技術があり、紙とインク(墨)はその品質が優れていて、人気の品目で中国に輸出されました。特に金属活字を印刷することができるインクは木版や木活字で印刷する時とは違い、油の成分が入らなければなりませんが、高麗のインク(墨)製造技術は優れていて金属活字を印刷することに大した困難がありませんでした。このように高い印刷の文化を持っていた高麗は「直指」はなんと145年も前に立った1234年に「詳定古今禮文」を金属活字で印刷した記録が伝えられています。

 

高麗の金属活字の技術は朝鮮に続き、更に発展しました。1392年、朝鮮は活字を鋳造する専門の官庁を置き、本を印刷し、美しく完成度の高い金属活字をたくさん製作しました。韓国の金属活字の技術は韓国社会の精神の文化を維持し、発展させることに重要な役割を担当しました。高麗の仏教と朝鮮の生理学思想はこの金属活字の技術の発展と共に続きました。「直指」を印刷した韓国の金属活字の技術は韓国の文化的な伝統が受け継がれた重要な宝物です。

高麗の水軍の艦砲、世界最初の艦砲海戦を勝利に導いた武器

 

世界最初の艦砲海戦はいつ起こりましたが。

艦砲海戦が歴史で重要な意味を持つ理由は艦砲海戦を基点に世界の歴史の主導権がアジアで欧州に移動していたからです。威力的な艦砲を装飾した艦隊が海上権を掌握し始め、欧州の多くの国家が世界の歴史を主導することになりました。多くの人々は1571年にベネチア、ジェノヴァ、スペインの連合艦隊がチュルク艦隊とレパントで起こしたレパント海戦を近代の艦砲海戦の始めで考えます。どころが、なんと190余年も前に立った1380年に高麗の水軍が軍船に火砲を装飾し、韓半島の鎭浦(ジンポ)で敵を破った最初の艦砲海戦である「鎭浦海戦」を勝利に導きました。高麗の水軍はいかに世界の最初で軍船に火砲を装飾することになりましたが。

 

当時に高麗は敵の潜入が頻繫であり、その規模が大きくなり、被害が深刻でした。これに高麗の朝廷は敵軍を無くすために船舶を建造し、強力な水軍を組織しましたが、これだけでは十分ではありませんでした。都合よく高麗の武官で科学者である崔茂宣(チェ・ムソン)は艦船に火砲を装飾し、海で敵軍を撃破するアイデアを思い浮かべ、韓国と中国の火薬の製造法を調査し、火薬を開発することに成功しました。この以降、彼は朝廷に火薬の武器の製造を専担する部たちも署の設立を申し立て、高麗の朝廷は1377年に「火筒都監」を設置し、崔茂宣(チェ・ムソン)が数十種の火薬武器を開発するようにします。高麗の歴史書である『高麗史』は崔茂ほとんど宣(チェ・ムソン)の「鎭浦海戦」を次のように記録しています。「火砲を使い、敵船を焼却しましたが…..煙と火の手が空を覆い、船を守った敵兵たちはほとんど焼け死ね、海に飛び込んで死んだ者たちも多かった。」

 

世界の最初で艦船に火砲を積んだ海戦で世界史に大きい分岐点を作った崔茂宣(チェ・ムソン)。彼が開発した多くの火薬武器は朝鮮に続き、李舜臣(イ・スンシン)将軍が大きい勝利を収めた宝物になりました。

朝鮮

全世界で一番卓越している世界地図!混壹疆理歷代國都之圖

15世紀に描かれた世界地図の中で一番卓越している地図である『混壹疆理歷代國都之圖』が韓国で作られた事実、皆さんはご存知でしょうか。

 

『混壹疆理歷代國都之圖』の名前は「知るべき治めなければならない世界の姿」といのう意味で、朝鮮が建国されたから10年がこのぎた1402年に朝鮮の王の意志が込められた国家の主導で制作された地図です。この地図は当時の最新の朝鮮地図と中国と日本で発行された地図を組み合わせて新しく作った世界地図です。何よりも珍しいことは『混壹疆理歷代國都之圖』が欧州より約100年の前にアフリカ大陸を地図に含めた世界最高の水準の地図であるものです。

 

この地図に韓国、中国、日本など東アジアを越え、インド、中東、欧州、その上にアフリカまで含まれていて、アフリカのがい海岸とナイル川の細部的な形態まで反映されています。

天象列次分野之圖、韓国の固有の天文と技術が入った天文図

韓国には世界で二番目で古い天文図があります。

 

1395年、朝鮮時代(1392年‐1910年)の初期に制作された『天象列次分野之圖』です。『天象列次分野之圖」は横122センされています。チのようにメートル、縦211センチできるメートルの黒石に彫り付けた石刻の天文図で、なんと1,467個の星が刻められています。当時に北半球で目で観察することができたほぼ全ての星が表示されています。「天象列次分野之圖」には4個の大きい同心円があります。最も内側の円には北斗七星のように一年の間見ることができる星座が描かれていて、最も外側の円には目で観測することができる星座の限界線が表示されています。中間の円には太陽が渡る道である黄道と南北極の中で赤道がお互いに入れ違って描かれていて、天の川も表示されており、その以外にも太陽と月を含めた天体の変化が詳しく説明されています。

 

この東洋式星座の体系を見せる『天象列次分野之圖』は13世紀に制作された中国の「淳祐天文圖」と似ている点が多いですが、明らかに違い特徴もあります。『天象列次分野之圖』でもの制作の意図は朝鮮の漢陽(ハニャン)です。また、固有に描かれた星座があり、同名の星座でもその位置と連結が違い、星座の模様が少しずようにつ違いものもあります。何よりも『天象列次分野之圖』にも星の大きさがそれぞれ違うように表示されているんですが、これものです。は星の明るさによってその大きさを違く表現したからです。石刻が刻まれた制作の経緯によると、『天象列次分野之圖』は高句麗の天文図の石刻を基に朝鮮時代の初めに再び制作されたものです。我々は『天象列次分野之圖』を通じて長い間続いてきた韓国の固有な宇宙観と天文科学技術を窺うことができます。

 

「東洋の天文観が集約された繊細で正確な天文図だ。」
‐ W.C. ルーファス、『韓国天文学』 (1936)

日帝強占期(対日抗争期)

朝鮮語大辭典、最初の韓国語辞書

1945年9月8日、ソウル駅のある倉庫で消えていた宝物が発見されました。日帝強占期(対日抗争期)のハングル学者たちが日帝の弾圧の下で奪われて消えていた『朝鮮語大辞典』原稿で、なんと2万6千5百余枚までもする膨大な分量でした。発見の以降、2年間の修正作業を経て1947年『朝鮮語大辞典』第一巻が出版され、1957年に第六巻で完結されました。これにて韓国人のアイデンティティを守るため1929年から始まった長の韓国語辞典の編纂の作業が仕上がれました。

 

1910年、日本に国を奪われた韓国人たちは韓国語を思い通りに使うことができませんでした。それにも関わらず、ハングル学者たちは厳しい日帝の監視と弾圧の中でもハングルを守るための活動を止まりませんでした。1929年10月「朝鮮語辞典編纂会」を結成し、本格的な辞典の編纂作業に突入しました。各種の語彙を取集し、外来語表記法を統一し、朝鮮総督府の綴字法改正案を自ら修正しながら、1933年にハングル綴字法統一案を発表しました。しかし、日帝の韓国語への弾圧は更に激しくなりました。

 

1938年、学校で韓国語の科目を廃止し、強制的に日本語を国語で使うようにしました。 1940年、全ての韓国語の新聞と雑誌を廃刊し、宗氏改名を強要しました。 そして1942年、朝鮮語辞典の編纂事業を主管していた朝鮮語学会を弾圧し、全ての会員を検挙し、数十万枚の辞典の原稿を押収し、団体を強制に解散しました。 この事件で16名のハングル学者が監獄に収監され、2名が残酷な拷問により獄死しました。

 

1945年、光復を迎え、監獄に監禁されたハングル学者たちは釈放されました。 しかし、日帝に奪われた『朝鮮語大辞典』原稿の行方は分かりませんでした。 その原稿がソウル駅のある倉庫で発見されたものです。 『朝鮮語大辞典』原稿は日帝強占期(対日抗争期)当時に厳しい弾圧の中でも韓国語を守ろうとしていた韓国語たちの努力に盛られている大切な宝物です。

アジアの光、3.1運動

皆さんはもしか第一次世界大戦の以降に植民地で起きた最初の大規模の独立運動について聞いたことがありますか。

 

2018年3月28日、米国のある有名な言論社であるニューヨーク・タイムズのウェブサイトの初の画面に1919年3.1運動に参加した韓国の16歳の少女である柳寬順(ユ・グァンスン)の生が記事化され、大きく載せられました。3.1運動に参与した韓国の16歳の独立運動家である柳寬順の業績を100年ぶりに報道したものです。若い少女である柳寬順が参与した3.1運動は一体どのような運動でしたか。

 

1919年に韓国で発生した3.1運動は今日のような交通手段と情報通信の連絡網もなかった時節の当時、韓国全体の人口の10分の1である約200万名が参与した世界最大の規模の独立運動でした。この運動により70,418名の死傷者が発生しましたが、この中で7,509名が死亡し、15,961名が怪我をしました。そして、なんと46,948名までもなる韓国人が収監され、あらゆる拷問を経て、苦痛を経験しました。

 

それでは、3.1運動はなぜ起きましたか。5千年の間に独立によりした歴史を守っていた韓国は日本の帝国主義の侵略により韓国の歴史上に初めて1910年から1945年まで日本の植民支配を経験しました。日本の帝国主義は韓半島の人的、物的資源を収奪し、漢民族の固有の言語と文化を大きく毀損し、正体生を崩そうとしました。特に、日本の帝国主義は韓国が「自ら日本の植民支配を望んでいる」という偽りの内容で海外に広報しました。国の独立とアジアの平和を求めていた韓国人たちは日本の植民地の統治に抵抗しました。

 

1919年3月1日、ある青年がタプコル公園で独立宣言書を朗読し、約5,000名の青年たちが「大韓独立万歳」を一斉に叫びました。日本の帝国主義の銃剣の恐怖の中でも全国で200万名の韓国人が非暴力抵抗運動である3.1独立万歳運動に参加しました。これは米国のニューヨーク・タイムズ、フランスのアンタント、英国のモーニングポスト、中国の民国日报などの世界の有力な言論によって報道されました。北京大の雑誌『新潮』は「3.1運動は【武器を持っていない革命】、【不可能であるものを知ってやった革命】、【純粋な学生革命】です。彼らは革命系に新紀元を開いた」と報道しました。

 

3.1運動を通じて韓国人たちの独立の意志が全世界に知られ、特に中国の5.4運動を含めアジア・中東地域の民族運動に影響を与えました。3.1運動は帝国主義により苦痛されていた数多くのアジアの人々に希望の光でした。

現代

皆さんは「大韓民国の歴史」というと何が浮かび上がりますか?

20世紀の初めに日帝強占期(対日抗争期)と韓国戦争、南北の分断を経験した後世界で一番貧乏だった国から、民主化と経済の成長を同時に果たし、世界10大の経済大国で成長した大韓民国の「奇跡の歴史」が浮かび上がりますか。

 

しかし、世界人たちが知っているこの奇跡の歴史は偶然に起きた「奇跡」ではありません。

 

五千年韓国の歴史的な土壌で育てた大韓民国の「文化的な底力」です。

 

21世紀韓国の青年たちが世界人たちに心から知らせたい価値は韓国の歴史の中に盛られている韓国の文化的な底力です。紀元前2333年の古朝鮮から始まった韓国の歴史の中には5世紀東北アジアの最強国であった高句麗をはじめとして百済と新羅の文化、そして人類の歴史を変えた金属活字を誕生した高麗の技術があります。

 

また、漢民族の歴史の中で最も尊敬されている朝鮮時代の世宗大王の夢と、一番暗かった日帝強占期(対日抗争期)の歴史を明るく輝かした独立の精神があります。我々の物語を通じてその間に世界から秘められていた大韓民国の歴史の中の価値を発見してみてください。これから21世紀の韓国の青年たちは新しい夢を見ています。

 

五千年韓国の歴史の中の価値を継承し、21世紀統一韓半島を果たし、「アジアの中心、東北アジアの関門、全世界の全ての人々と夢と友情を分かち合う大韓民国」で跳躍し、地球村の平和、成長、分けを主導していく胸がわくわくする国になります