韓国史のプロフィール
古朝鮮 (紀元前2333年 – 紀元前108年)
建国理念:弘益人間、広く人間を利する
力や経済力で世の中を支配するものではなく、愛と奉仕で世の中を美しくする「弘益人間」精神は数千年前の大韓民国の最初の国家である古朝鮮の建国理念です。このような建国理念が実現された古朝鮮について中国の魏の宰相である孔斌は『東夷列傳』に次のように記録しました。
「この国はたとえ大きいが自ら驕慢ではなく、その兵力はたとえ強いが他の国を侵犯しない。」
また、彼の先代である孔子も住もうとしたと書かれています。
現在、大韓民国は世界2位のボランティア派遣国で地球村を仕えています。大韓民国の最初の国家であった古朝鮮の弘益人間の精神が今日の韓国の青年たちに受け継がれ、実現されています。
高句麗 (紀元前37年 - 紀元後668年 )
高句麗の夢:世界の中心で世界と疎通する
5千年の大韓民国の歴史の中で一番協力な王たちの中で一人であった高句麗の廣開土大王の業績を記念するために建てられた廣開土大王陵碑には高句麗の始祖が「天帝の息子」だと書かれています。天子の帝国という高句麗の自負心は高句麗を5世紀東北アジアの一番協力な国に成長させました。
しかし、このような自負心から始まった高句麗の夢は排他的なものではなく、却って周辺の多くの国と交流し、協力しながら拡張されました。高句麗の夢と自負心は今日「アジアの中心」、「東北アジアの関門」、「全世界の全ての者たちと夢と友情を交わす大韓民国」を夢見ている21世紀韓国の青年たちに大きい霊感を与えています。
百済 (紀元前18年 - 紀元後660年 )
百済の文化:韓流になり、世界へ広がっていく
数百年の間に韓半島の中央を占めていた百済は中国、韓半島、日本を連結し、国際的な国家に成長されました。また、ひいてはベトナム、インドなどアジアの全域と活発に交流しながら東北アジアの文明の交流の中心地になりました。
百済は特に4世紀から日本に漢学、儒学、天門、暦法、地理などを伝達し、6世紀は日本に最初で仏教を伝え、日本の最初の仏教文化である飛鳥文化が花咲くことに大きく寄与しました。
古代東北アジアはもちろん多くのアジア人の心を捕えた百済の文化は今日の日本、中国、アジアを越え、世界人たちに愛されている韓民族の新しい文化の波、「韓流」に繋がっています。
新羅 (紀元前18年 - 紀元後660年 )
新羅のシステム:千年の新羅王国を建設する
新羅は世界の歴史上にめったになく王朝が持続された国です。千年王朝の土台を設けた者は韓国の歴史上に最初の女王、善德女王です。(在位期間 632年 – 674年)
善德女王は当時に男性だけが王位に即いた観念を破って即位し、善政と優れた人材の登用で高句麗と百済より力が弱かった新羅による三国統一の土台を設けました。
今日、大韓民国の女性たちは政治、経済、社会、文化などの多をくの領域に挑戦しています。このような21世紀の大韓民国の女性たちに千年新羅王国を果たした善德女王と新羅のシステムは良いお手本になっています。
伽倻 (紀元後42年 – 紀元後562年)
伽倻の鉄:東北アジアの華麗な鉄器文化を花咲く
韓半島の南側の洛東江の流域に場を占めた伽倻は天の恵みの立地条件を基に、中国と韓半島、日本を連結する国際貿易の中心地になりました。また、進取的で開放的な考えで土器の制作など独特な芸術文化を形成しましたが、韓国の代表的な県楽器である伽倻琴を発明することもしました。
何よりも伽倻は豊富で良質の鉄の生産国で国際貿易の中心地としのて名声を固め、これを基に優れた鉄器文化を咲かせました。古代の東北アジア地域の華麗な鉄の王国、伽倻。その名声は21世紀に世界最高の製鉄業と造船業を導く大韓民国の名声に繋がっています。
高麗 (918年 - 1392年)
高麗の技術:世界最初で金属活字を発明する
新千年を迎え、米国のライフ紙を始め、世界の多くの有名な言論は過ぎ去った千年間に人類の歴史に大きい影響を及ぼした事件の中の一つで金属活字の発明を挙げました。金属活字の発明は特権層が独していた知識と情報を大衆化させる切っ掛けになり、これを通じて世界史は大きい転換点を迎えました。高麗はこのような金属活字の技術を世界最初で発明した国です。
高麗の金属活字の印刷術は1377年に刊行された現存している一番古い金属活字の印刷物である『直指心體要節』を通じて確認することができます。以降にこの金属活字の技術は朝鮮時代に続いて更に発展され、日本を始め、多くの国に伝えられ、東洋の印刷の歴史に大きい影響を及ぼしました。今日の高麗の金属活字の技術は21世紀のIT(Information Technology, 情報通信技術)革命とスマート革命を主導していく大韓民国の創造的な技術に繋がっています。
朝鮮 (1392年 - 1910年)
朝鮮の政治哲学:民本政治、国の根本は百姓です
朝鮮王朝の500年の政治哲学は百姓を根本とする民本政治です。王の権力は空と百姓が下したもので信じ、百姓を全ての政治行為の主体として考えました。このような朝鮮王朝の民本政治の哲学を一番良く具現した人物は世宗大王(1397-1450年、 在位1418-1450年)でした。
民本思想を基にした世宗大王の百姓への愛は「百姓のための文の創製」という人類の歴史上類例がない革新的な業績と、政治・経済・文化・国防など社会の多くの分野にわたり、優れた業績を残す動機になりました。
百姓が統治者のために存在するものではなく、統治者が百姓のために存在するというこのような民本政治の思想は20世紀に大韓民国が世界で一番短い期間の中で民主化を果たす土台になりました。
日帝強占期(対日抗争期 1910年 ‐ 1945年 )
独立精神:アジアの光、地球村の希望になる
数千年の間に独立した歴史を守っていた大韓民国は日本の帝国主義の侵略で植民支配を経験しました。韓半島の人的、物的資源は全部奪われ、韓民族の言語と文化は大きく毀損されました。しかし、韓国人たちは植民支配を経験しながらも絶え間なく国を取り戻すために独立運動を展開しました。特に200万名の韓国人たちが参与していた3.1運動は当時に帝国主義の侵略で苦痛されていたアジアの多くの国に希望の光になりました。
日帝強占期(対日抗争期)は韓民族の歴史で一番暗い時期でありましたが、帝国主義の侵略に立ち向かって国を守り、自由と平和を守った独立精神でいつにも増して明るく輝きました。このような独立精神を引き続ぎました大韓民国は理念と思想で分裂された冷戦時代である1988年、ソウル五輪を成功的に開催し、世界を和合に導き、1997年に迎えた深刻な経済危機を早く克服するなど地球村の新たな希望になっています。
現代(1948年 ‐ 現在)
韓半島の統一:世界の平和、成長、分けの種物になる
植民支配の以降、1948年に大韓民国の政府が樹立されましたが、韓民族は理念的な対立で数百万名が犠牲された6.25戦争を経験しました。戦争により国土は廃墟になり、韓民族は南と北に分けられました。しかし、韓国は戦争の惨状と貧乏を克服し、世界10位圏の経済大国に成長し、民主化も作り出しました。もう大韓民国は新たなビジョン、韓半島の統一を抱いています。
韓半島の統一はただ分断された国が再び一つになることだけを意味しません。我々の統一は南北の対峙と北核の不安を解消して世界を平和にし、東北アジアを始め世界経済を連結して世界を成長させ、このような平和と成長の経験を世界に分け、地球村に寄与していきます。
21世紀の統一の韓半島はアジアの中心、東北アジアの関門、全世界の全ての人々と夢と友情を分ける国に跳躍し、地球村の平和と成長、そして分けを主導する胸がワクワクする国になります。