3·1運動

同じアジア文化圏に属する隣の国である韓国と日本。

 

しかし、学生みなさんが使っている教科書、

学校現場で教えられる学習の内容をみると、

独島と日本軍「慰安部」、日帝強制動員について

歪曲された歴史が伝われるだけでなく、

碌に扱われていない歴史の瞬間があります。

 

このセクションでは

韓国人の自発的で国家的な次元の独立運動で

外信でも大きく注目された3.1運動と、

日本によって当時の惨状の真実が隠られていた

関東大震災の朝鮮人の虐殺について調べるとします。

革命が猛威を振るう 韓国、独立性の認定を求める

米『アイオワ・シティ・デイリー・シチズン』1919年3月10日記事

 

韓国蜂起 非武装の反乱

米『サンフランシスコ・エグザミナー』1919年4月6日記事

 

韓半島全域に拡散した戦闘

米『 ニューヨーク・タイムズ 』1919年4月13日記事

 

朝鮮之革命運動

中『民国日報』1919年3月9日記事

 

高麗女学生之哀聲

中『新民報』1919年3月10日記事

 

上記のような言論記事のヘッドラインが注目している
歴史的な事件は何でしょうか。

 

1919年2月8日、

日帝強占期(対日抗争期)当時

日本の首都である東京で日本の支配下にあった朝鮮の青年たちが

「大韓独立万歳」を叫び、祖国の独立を宣布します。

2.8独立宣言書「イメージ出所」在日本韓国YMCA2.8独立宣言記念資料室

 

「全朝鮮青年独立団はわが二千万の朝鮮民族を代表し、正義と自由の勝利を得た世界万国の前にわが独立を期成せんことを宣言する。

四千三百年の長久の歴史を有するわが民族は、実に世界最古の文明民族の一つである。たとえ時には中国の正朔を奉じたことはあったとしても、これは朝鮮皇室と中国皇室との形式的な外交的関係に過ぎなかった。朝鮮は常にわが民族の朝鮮であり、かつて一度として統一国家であることが失われたり異民族の実質的支配を受けたりしたことはなかった。日本は、朝鮮が日本と唇歯の関係にあることを自覚していると言って、1895年日清戦争の結果、韓国の独立を率先して承認した。そしてイギリス、アメリカ、フランス、ドイツ、ロシアなどの諸国も、独立を承認しただけではなく、これを保全することを約束した。韓国はその恩義を感じ、諸般の改革と国力の充実を鋭意図ったのである。当時ロシアの勢力が南下し、東洋の平和と韓国の安寧を脅かすと、日本は韓国と攻守同盟を締結して日露戦争を始めたが、東洋の平和と韓国の独立保全が実にこの同盟の主旨であった。韓国は一層その好誼を感じ、陸海軍の作戦上の援助はできなかったものの、主権の威厳までを犠牲にし、可能なあらゆる義務をつくして、東洋平和と韓国独立の二大目的を追求したのであった。ついに戦争が終結し、当時のアメリカ大統領ルーズベルト氏の仲裁により日露間で講和会議が開かれると、日本は同盟国である韓国の参加を許さず、日露両国代表者間の任意によって日本の韓国に対する宗主権を議定した。日本は優越した兵力をもって、韓国の独立を保全するという旧約に違反し、暗弱であった当時の韓国皇帝とその政府を脅迫し欺いて、「国力が充実し独立が得られるときまで」という条件で韓国の外交権を奪い、これを日本の保護国とし、韓国が世界列国と直接交渉する道を断った。また「相当の時期まで」という条件で司法、警察権を奪い、さらには「徴兵令実施まで」という条件で軍隊を解散し、民間の武器を押収して、日本の軍隊と憲兵警察とを各地に配置した。甚だしくは、皇宮の警備までも日本の警察を用いるようになった。このようにして、ついに韓国を全く抵抗できない者にした後に、多少は明哲であると言われていた韓国皇帝を放逐して皇太子を擁立、日本の走狗によっていわゆる合併内閣を組織し、ついに秘密と武力のうちに合併条約を締結した。ここにわが民族は建国以来半万年にして、自らを指導し援助すると言った友好国の軍国的野心の犠牲となったのである。

実に日本の韓国に対する行為は、詐欺と暴力から出たものであり、実にこのような偉大な詐欺の成功は、世界興亡史上に特筆すべき人類の大恥辱であると言える。

保護条約を締結する際に、皇帝と、賊臣を除いた数人の大臣はあらゆる反抗の手段を尽くし、その発表後も全国民は素手で可能な限りの反抗を行った。司法、警察権が奪われ、軍隊が解散した時も同様であった。合併に際しては、手中に寸鉄の武器を持たなかったにもかかわらず、可能な限りの反抗運動を尽くしたが、精鋭な日本の武器により犠牲となった者は数知れない。以後10年間、独立を回復しようという運動で犠牲となった者は数十万に達し、惨酷な憲兵政治下において、手足と口舌の自由を奪われながらも、未だかつて独立運動は絶えることがなかった。このことから見ても、日韓合併は朝鮮民族の意思によるものではないことがわかるであろう。このように、わが民族は日本軍国主義の野心の詐欺と暴力のもとに、わが民族の意思に反する運命におかれた。それゆえ、正義によって世界を改造するこの時に、その匡正を世界に求めることは当然の権利であり、また世界改造の主人公であるアメリカとイギリスは、保護と合併を率先して承認したという理由によって、今こそ過去の旧悪を贖う義務があると言える。

また合併以来の日本の朝鮮統治政策を見ると、合併時の宣言に反して、わが民族の幸福と利益を無視し、征服者が被征服者に対する古代の非人道的な政策を応用して、わが民族に参政権、集会結社の自由、言論出版の自由を許さず、甚だしくは信教の自由、企業の自由に至るまでも少なからず拘束している。行政、司法、警察等の諸機関が朝鮮民族の人権を侵害し、公的にも私的にもわが民族と日本人との間に優劣の差別を設け、日本人に比べて劣等の教育を施し、わが民族を永遠に日本人の使役者にさせようとしている。歴史を書き改め、わが民族の神聖な歴史的、民族的伝統と威厳を破壊し、陵辱している。少数の官吏を除くほか、政府の諸機関と交通、通信、兵備などの諸機関の全部あるいは大部分に日本人のみを用い、わが民族には永遠に国家生活の智能と経験を得る機会を与えないようにしている。わが民族は、このような武断専制、不正不平等な政治のもとでは、決してその生存と発展を享受することができない。それだけではない。人口過剰の朝鮮に無制限の移民を奨励して補助を与え、土着のわが民族が海外に流離するのをやむなくさせた。国家の諸機関はもちろん、私設の諸機関にまで日本人を用い、一方で朝鮮人の職業を失わせ、また一方では朝鮮人の富を日本に流出させた。商工業においても日本人には特殊な便益を与え、朝鮮人には産業的発展の機会を失わせた。このように、いかなる方面においても、わが民族と日本人との間の利害は互いに相反し、相反すればその害を受けるのはわが民族である。故に、わが民族は生存の権利のために独立を主張する。

最後に東洋平和の見地から見ても、かつて脅威であったロシアはすでにその軍国主義的野心を放棄し、正義と自由と博愛を基礎とした新国家を建設しようとしており、中華民国もまた同様である。加えて、このたび国際連盟が実現すれば、再び軍国主義的侵略を敢行する強国は無くなるであろう。そうであれば、韓国を合併した最大の理由はすでに消滅している。そればかりでなく、もし朝鮮民族が無数の革命の乱を起こすとすれば、日本に合併された韓国はむしろ東洋平和を乱す禍根となるであろう。わが民族は正当な方法によってわが民族の自由を追求するが、もしこれが成功しなければ、わが民族は生存の権利のためにあらゆる自由な行動を取り、最後の一人に至るまで自由のために熱血をそそぐであろう。これがどうして東洋平和の禍根とならないであろうか。わが民族は一兵も持たない。わが民族は兵力で日本に抵抗する実力はない。しかし、もし日本がわが民族の正当な要求に応じなければ、わが民族は日本に対し永遠の血戦を宣言するであろう。

わが民族は高度の文化を持ってからすでに久しく、半万年の間、国家生活の経験を持つ者である。たとえ多年の専制政治の害毒と境遇の不幸がわが民族の今日を招いたのだとしても、正義と自由を基礎とした民主主義の上に、先進国の範に従って新国家を建設した後には、建国以来文化と正義と平和を愛護してきたわが民族は、必ずや世界の平和と人類の文化に対し貢献することであろう。

ここにわが民族は日本および世界各国が、わが民族に民族自決の機会を与えることを要求する。もし、そうならなければ、わが民族はその生存のために自由行動を取り、わが民族の独立を期成することを宣言する。

決議文

  • 本団は、日韓合併がわが民族の自由意思によるものでなく、わが民族の生存と発展を脅かし、また東洋の平和を乱す原因となっているという理由により、独立を主張する。
  • 本団は、日本の議会及び政府に対し、朝鮮民族大会を召集し、その会の決議によってわが民族の運命を決定する機会を与えることを要求する。
  • 本団は、万国講和会議において、民族自決主義をわが民族にも適用させることを請求する。右の目的を達成するために、日本に駐在する各国大使公使に対し、本団の主義を各国政府に伝達することを要求し、同時に委員二名を万国講和会議に派遣する。右の委員は既に派遣したわが民族の委員と一致した行動を取る。
  • 前項の要求が失敗したときには、わが民族は日本に対し永遠の血戦を宣言する。これによって生ずる惨禍については、わが民族はその責任を負わない。

1919年 2月 8日

朝鮮青年独立団

右代表者

崔八鏞 金度演 李光洙 金喆寿 白寛洙 尹昌錫 李琮根 宋継白 崔謹愚 金尚徳 徐 椿」

 

1919年3月1日、

京成部(現在ソウル鐘路区仁寺洞)所在のある飲食店で

韓国の民族代表33人が集まり、独立宣言書を朗読します。

 

独立宣言書の原本「イメージ出所」NAVER百科事典

 

「われわれは、ここにわが朝鮮が独立国であり、朝鮮人が自主的民族であることを宣言する。これをもって世界万国に知らせ、人類平等の大儀を明らかにし、これをもって子孫万代に教え伝えて、民族自存の正当な権利を永久に享有させんとするのである。

五千年歴史の権威によってこれを宣言するのであり、二千万民衆の誠忠を結集してこれをあまねく明らかにするのであり、民族の永久不変な自由発展の為にこれを主張するのであり、人類的良心の発露に基づく世界改造の大きな機会と時運に順応してともに進む為にこれを提起するのであって、これは天の命令であり、時代の大勢であり、全人類の共同生存権の正当な発動である。天下の何物もこれを阻止抑制することは出来ない。旧時代の遺物である侵略主義・強権主義の犠牲となって、有史以来、数千年間に初めて異民族の圧制に痛苦をなめ、今、十年が経過したのである。その間、わが民族の生存権が剥ぎ取られなくしたものはどれほどであり、新鋭な独創力をもって世界文化の大潮流に寄与・補益すべき機縁を失った損失はどれほどであろうか。

悲しいかな!久しい以前からの悔しさと憤怒をはらし、述べようとすれば、時下の苦痛から逃れようとすれば、将来の脅威を除こうとすれば、民族的良心と国家的道義が抑圧され、萎縮したのを奮い起こし、立たせようとすれば、各個人格の正当な発展を遂げようとすれば、可愛い子弟に恥辱的財産を残してやりたくなければ、子々孫々の永久・完全な慶びと幸福への道を開いてやろうとすれば、最大の急務が民族の独立を確実にかち取ることである。二千万各個人がすべて心の刃を抱き、人類共通の正義感と時代の良心が正義の軍と人道の武器を持って援護してくれる今日、我々が進んで戦えば、どんな強敵でも粉砕できないことがあろうか。退いて何かをしても、どんなことができるであろうか。

一八七六年の韓日修好条約以来、時々に結んだ各種の約束を違えたからといって、日本の不信を責めようとはしない。学者は講壇で、政治家は実際で、わが祖先たちの遺産を植民地視し、わが文化民族を野蛮人のように待遇して、ただ征服者の快感のみをむさぼらんとするのみで、われわれの久遠な社会基礎と卓越せる民族心理を無視したといって、日本の不義不信を責めようとするのでもない。自分自身を鞭打ち励ますのに忙しいわれわれは、他人を恨む暇はない。過ぎた昔のことを責め、善悪を分けて論議する暇もない。今日、われわれに与えられた任務は自己の建設のみであり、決して他の破壊にあるのではない。厳粛な良心の命令でもあって、自家の新運命を開拓するのみであり、決して旧怨と一時的感情でもって、他を排撃排斥しようとするのでもない。旧思想・旧勢力にとらわれた日本偽政者の功名心の犠牲となった、不自然かつ不合理な錯誤状態を改善・矯正して、自然かつ合理的な正道の根源に帰依らんとするだけである。当初、民族的欲求から出ていない両国併合の結果が、結局、姑息的威圧と差別的不平等と統計数字の虚飾の下で利害の相反する両民族間に、永遠に和同することのできない恨みの溝をますます深めた今までの実績を見よ!勇躍果敢な精神で旧誤を正し、真正な理解と同情に

基づく友好的新局面を打開することが、双方間の禍を遠ざけ、福を呼ぶ近道であることをはっきりと知るべきではないか。また、憤りを抱き恨みを持つ二千万の民を威力でもって拘束するのは、ただに東洋の永久平和を保障するゆえんでないのみならず、これによって東洋安危の主軸である四億中国人の日本に対する危惧と懸念をますます濃厚にさせ、その結果として東洋全局の共倒れの悲運を招致することの明らかな今日、われわれの朝鮮独立はわれわれをして正当な生存の喜びを遂げさせると同時に、日本をして悪の道から出て東洋擁護者としての重責を全うせしめ、中国をして夢にも忘れられない不安恐怖から脱出せしめることである。また、東洋平和を重要な一部とする世界平和、人類幸福に必要な段階ともなるのである。これがどうして区々たる感情上の問題であろうか。

ああ、新天地が眼前に展開される。威力の時代が去って道義の時代が来た。過去の全時代に錬磨され、涵養された人道的精神が、今まさに新文明の曙の光を人類の歴史に投射し始めている。新春が世界にめぐり来て万物の回生を促している。冷たい氷と雪に呼吸も詰まったのが、かの一時の勢いならば、和風暖陽に気脈が伸びやかに振る舞うのも、また、この一時の勢いである。天地の復運に際し、世界の変潮に乗ったわれわれは、何も躊躇することなく、何も忌みはばかるものはないのである。

われわれの固有な自由権を保全し、生命の旺盛な営みをあくまで享有すべきであり、われわれの充分な独創力を発揮して、春爛漫の大界に民族的精華を結実させよう。われらがここに奮起するのだ。良心がわれわれと共にあり、真理がわれわれと共に進むのだ。男女老若を問わず、陰うつな古い巣から活発に飛び出し、森羅万象と共に欣快な復活を遂げるのだ。千百代の祖霊がわれらを陰で助け、全世界の機運がわれらを外で護ってくれる。着手がただちに成功である。ただ、前途の光明に向かってばく進あるのみ。

公 約 三 章

一、今日、われわれのこの拳は、正義・人道・生存・栄光の為の民族的欲求であるから、自由の精神を発揮すべきであり、決して排他的感情で横道にそれてはならない。

一、最後の一人まで、最後の一刻まで、民族の正当な意思を心よく発表せよ。

一、一切の行動は、最も秩序を尊重し、われわれの主張と態度をしてどこまでも公明正大ならしめよ。

建国 四二五二年 三月 一日

民族代表  孫 秉 煕  以下三十三人」

 

2.8独立宣言書と3.1独立宣言書が

3.1運動の基本の精神を込める文書であるという点と一緒に、

3.1運動が起きたいくつかの原因があります。

 

民族自決主義:米国の第28代大統領であったトーマス・ウッドロウ・ウィルソン(Thomas Woodrow Wilson)が発表した「14個条平和原則(Fourteen Points)」の精神の一つ。核心的な内容は植民地としての支配や領土を占領された民族に自由で公平に自らの未来を選ぶことができる「自決権」を認めるものです。これの元の対象は第一次世界大戦の敗戦国の支配下にあった民族でしたが、国際的に拡散し、朝鮮(韓国)でも3.1運動の思想的な原動力になりました。

 

高宗の疑問死:朝鮮王朝の第25代王で、大韓帝国の第1代王であった高宗。彼の父親で前王であった興宣大院君とは違い政策を実施し、外国の思想と文物を受け入れました。しかし、日帝と朝鮮の政府を背反した親日官僚によって朝鮮の国権が侵奪されると、 高宗は米国にホーマー・ベザレル・ハルバート(Homer Bezaleel Hulbert)、オランダのハーグで開催された第二次万国平和会議に李儁、李相卨、李瑋鍾を特使で送り、朝鮮の現実を全世界に知らせるとした。1919年1月、普段元気だった高宗が急に崩ずると、高宗を目の敵のように思っていた日帝が彼を毒殺したのではないかという噂が広まり、3.1運動が起きるのに影響を及ぼしました。

 

日帝が3.1運動に参加した朝鮮人たちを武力を使って強く鎮圧し、

所々で無惨な虐殺事件がつづくと、

日帝に向かって朝鮮人の怒りが極まり、

3.1運動の基である独立についての意志は

国土を超えて外国にいる朝鮮人(韓国人)まで伝えられ、

多くの独立運動家が文を通じる愛国心を鼓吹すること、

または強化された武力闘争を展開することの切っ掛けになりました。

 

3.1運動は韓民族がただ日本の帝国主義の脅威と恐怖に戦うために起きた動きではありません。朝鮮が直面している現実を世界に知らせることと一緒に、祖国と独立への意志と熱望を積極的で、自発的で、国家的な規模の運動です。