独島、本当にご存じですか? ①

独島、本当にご存じですか? ①

独島を守るために記憶するべきである

八つの物語

昔の独島は、

韓国は独島を自国の領土で認識していました。

「于山(独島)と武陵(鬱陵島)、二つの島は蔚珍縣の真東の海にある。
二つの島はお互いの距離が遠くなく、天気が晴れていると眺めることができる。」
‐『世宗実録地理志』(1454年)

鬱陵島では晴れている天気に独島が見えます。
そして、 鬱陵島に人が居住する前にも
韓国の多くの古文書と古地図が
「于山島(独島の昔の名前)」を表記しました。

日本は独島を自国の領土で認識していませんでした。

『改正日本與地路程全図』(1779年)で独島と鬱陵島は彩らず、経度と緯度の線の外に描かれています。

『三国之全図』(1802年)では独島と鬱陵島が韓半島と同じ色で彩られ、韓国の領土であることを表しています。

17世紀日本の主張

17世紀に日本が独島の領有権を確立した!
これは虚偽

日本は文献を通じて自発的に
鬱陵島と独島を領土から除外しました。

「日本之乾地以此州爲限矣 (日本の北西の境界はこの州(隠州)を限りとする)」
隠州視聴合紀(1667年)

 

 

独島が日本の独島であり、渡海を禁止していませんでした!
これは虚偽

日本は独島を鬱陵島の付属の島で判断しました。
それ故1696年の鬱陵島への渡海の禁止には
独島も当然に含まれていました。

「竹嶋之内松嶋」
竹島(鬱陵島)の内の松島(独島)
‐大谷家文書(1660年)

 

 

 

 

安龍福と独島

1693年、安龍福は朴於屯と鬱陵島で漁業をしている時に、日本の船員たちに領域を侵犯した理由で日本に捕まってしまいます。
これで独島と鬱陵島の支配権についての論争(鬱陵島争界)が発生し、日本は鳥取藩の答弁書を通じて鬱陵島と独島が日本の領土ではないことを確認します。

日本幕府
竹島(鬱陵島)はいつから鳥取県に属しましたか?以外に属する島があるのか?

鳥取藩答弁書
竹島(鬱陵島)は因幡・伯耆に属しません。
(中略)
そのほか…に属する島はございません。

1696年、鬱陵島に漁業のために来た日本の漁船を追撃し、
独島から切り払い、日本を訪れて
鬱陵島と独島が朝鮮の領土だと再び述べりました。

「伺之趣竹島外一嶋之義本邦関係無之義ト可相心得事」
‐1877年 【太政官】の指令

安龍福の物語は韓国の『粛宗実録』と
日本の『元祿九丙子年朝鮮舟着岸一卷之覺書』など
両国の文献に登場します。

1877年、当時日本の最高の国家機関であった太政官は
鬱陵島と独島が日本の領土ではないことを再び確認します。

1905年島根県編入の真実

1905年、日露戦争の中、日本は独島を軍事基地として使うために強制に領土に編入します。

過去の日本
独島は主人がない地であるから、日本の領土に編入する!

現在の日本
前から日本が主人?

しかし、今日本政府は日本が元から
独島の主人であったから編入したという
むじゅんした主張をしています。

日本の主張には大きい問題がもう一つあります。
島根県編入は帝国主義戦争中に起きた
領土侵奪の行為であることです。

これは帝国主義の戦争犯罪を反省せずに正当化するもので、
人類史の普遍的な良心を拒否する恥ずかしい行為です。

国際社会を生きている私たちは過去の葛藤をきちんと見渡し、
和合の未来に進まなければなりません。
だから私たちは日本の独島の所有権の主張を受け入れてはなりません。